地震と防災ニュース

地震速報

2012年3月3日

40キロ先の真っ赤な雲。関東大震災を過去から学べ!


鹿島建設地震地盤研究部の武村雅之氏の
関東大震災、大東京圏の揺れを知る」と題した講演録が
たいへんためになります。

昔の講演ですが、関東大震災について
一般的に言われていることとは違う、
貴重な事実を分かりやすく伝えてくれています。


講演は長文で読むには時間がかかるので、
できるだけ多くの方に知ってもらうためにも
ここでは一部要約してご紹介します。

時間の取れる方は、ぜひ元のページをご覧ください。


関東地震はプレートが起こす地震
→直下型よりも陸上の広い範囲に強い揺れ
関東地震の被害はものすごく大きかった。では、日本で一番大きな地震だったのかということなんです。(中略)それで過去5,60年の間に起こった地震の震源域を北から描いてやると、関東地震は80年前ですけれどいっしょに描いてやると、決して震源域が最も大きい地震ではないんですね。これから来ると言われている東南海地震とか南海地震とか、それから十勝沖地震とか、そんな地震の方がずっとずっと大きい震源域の地震です。

 それなのに何で関東地震はそんなに大きな被害が出たのかということです。(中略)普通、海溝から潜り込んだプレートが起こす地震というのはほとんど海底下で起こるんですが、伊豆半島のおかげで関東地方は直下でマグニチュード8クラスの巨大地震が起こるようになっちゃった。そのために陸上での揺れが広い範囲で強くなり被害を大きくしたのです。もちろん今現在も状況は変わっていませんので、次に来たときも同じです。
関東地震の本震は日本一ではないが…
→大きな余震が連続して起こった
関東地震はもう一つやっかいな特徴があります。本震の大きさは日本一ではない、もっと大きい地震は幾らでもあると言いましたけれど、実は余震は多分世界最大、最大というのは変ですね。世界で一番多く、規模の大きな余震を起こした地震ではなかったかと思います。(中略)

 一番最初の大きな余震は、12時1分頃に起こったんです。本震が11時58分32秒から起こり始め、東京が揺れ始めたのは59分ぐらいですけれど、12時1分に東京に近い東京湾の北部で引き続いて大きな余震があった。それから12時3分に今度はこちら側、山梨県の方でまた大きな余震が起こった。実はこの2つの余震は私が調べるまではよくわからなかった。なぜかというと地震計の記録では本震の揺れがまだおさまらず区別がむずかしいんです。ところが、東京で地震を体験した人の体験談を読むとみんな言っているんですね。関東地震は3回揺れたと。しかも2回目が一番強かったと。ほとんどの人が言っているんです。でも地震屋というのは“人”の言うことを聞かないんです。人間の言うことは精度が悪いと思っているんです。(中略)

 その他に、被害を及ぼした余震というのは、まず9月2日の1日あとで起こった勝浦の沖の余震です。これはマグニチュードが7.6と大きな余震です。
関東大震災は阪神・淡路大震災より弱い揺れ?
→住宅の全損被害は阪神大震災以上
次に、被害の話をします。数年前に兵庫県南部地震が起こりました。そのとき皆さん非常に狼狽した。特に建設省の偉い方が、私は被害を出したことに対する言い訳だと思いますけれど、おっしゃいました。関東大地震の3倍強く揺れたからこんな被害になったんだと。予想だにしなかったと。これが非常に悪い影響を及ぼした。なぜかというと、関東地震は、実はあまり強く揺れなかったんじゃないかという印象を日本中の人に与えた。(中略)

 でも関東地震もしっかり揺れた。そのことをどうやって皆さんにお伝えすればいいかということで、私が考えたのは、何人が強い揺れで潰れた家の下敷きになって亡くなったのかということを示そうとしたんです。関東地震の死者の多くは火災による。火災は確かにあった。火災で死んだ人が何人で、家の下敷きになって死んだ人が何人か。こんなものは本当は区別がつかないんですけれど、推定ですが評価した。そうすると住家の全潰で亡くなった人は約1万1千人という数字が出てくるんです。兵庫県南部地震の直後の集計で、死んだ人が5千500人、全員潰れた住宅の下敷きになって死んだとしても、それの倍からの人が関東地震の時に全潰住家の下敷きになって亡くなっているんです。つまりそれほど揺れが強かったということです。
大火災はなぜ起こったか?
→昼食の時間+台風+(後述)で燃え広がった
火災の被害は確かに大きかった。推定で9万2千人ぐらいの人が火災で亡くなっています。確かに非常に大きい被害ですね。(中略)立川と東京の間は約40キロ離れていますが、こんなふうに見えたみたいですね。夜になると真っ赤だったみたいです。この入道雲が真っ赤に見えたらしい。(中略)

火災がなぜこんなに大きくなったのかということを考えてみましょう。もちろん昼前で昼食の支度に火を使っていたということもありますが、問題はこれだと思います。台風のために非常に風が強かったんです。関東地震の発生した9月1日は二百十日ですね。きっちり二百十日に台風が来たんです。前日九州の有明海あたりにあった台風が日本海沿いに進んで、関東地震が起こった日の朝には能登半島付近にあったんです。弱い熱帯低気圧になっていたんですが、皆さんご承知のように日本海を強い低気圧が通ると東京では南風が非常に強くなります。(中略)
 このころ本所の被服工廠跡で大旋風が起こって4万5千人か5万人ぐらいの人が一気に亡くなったんです。多分、このくらいの状況になってしまうと、もう火災自信が強風を起こしちゃう。だからもう手がつけられない。けれどもこの状況になるまでには、台風の強風が非常に影響したんだろうと思います。さらにその夜の9時、それから、翌朝の3時ということで、どんどん広がっていっちゃったんですね。実は完全に鎮火したのは9月3日の10時頃と言われています。燃えていた時間からも火災のすごさがわかると思います。
その他にも被害はあったのか?
→土砂災害、津波も発生
この他にもまだまだ被害の原因はあります。1つは土砂災害です。これも非常に大きかった。約7、800人ぐらいの方が土砂災害で亡くなっています。(中略)根府川の子供たちは、ちょうど地震の時に海岸で遊んでいたんです。地震のあとほっとする間もなく、5分ほどして、海から津波が来た。しかも山からはこの土石流、つまり山津波が来まして、子供たち、2,30人だと思いましたけれども、山と海の2つの津波に挟まれて命を落としたというものです。さらに、崖崩れ、山崩れは箱根、丹沢を中心にして非常にたくさんいろんなところで起こりました。

 それに結構、忘れ去られがちなのは津波なんです。関東地震の震源域は陸にかかっていると言いましたけれど、相模湾で海にも伸びていますから、当然津波が起こります。このため相模湾沿岸と伊豆半島にかけて大きな津波の被害が出ました。死者は大体200人から300人ぐらい。10年ほど前に北海道南西沖地震というのがあって、奥尻島というところでたくさんの方が亡くなりましたけれど、あの地震で亡くなった人が200人ぐらいですから、関東地震の津波の被害も相当なものです。
関東大震災の死者・行方不明者は14万人?
→二重集計を無くすと10万5千人余
関東地震というのは、火災が非常にクローズアップされるんだけれど、揺れも非常に強く建物の全潰も多かったし、それから、大きな土砂災害も起こしたし、津波もすごかった。地震で起こる被害のすべてが、しかも一級のレベルで起こったということですね。
 そこで、こんな風に表にして亡くなられた方を原因別に集計していくと、10万5千人の死者・行方不明者が出たという結論になります。ここでちょっとつけ加えると工場等の被害というのがあって、それで1千500人亡くなっているんですが、これ相当な数ですね。工場の被害って何かというと、主に紡績工場での被害です。当時はまだ耐震規定も何もありませので、工場建物のように大空間で壁が少なく地震の揺れに非常に弱い建物が建っていたわけですね。(中略)

 ところが関東地震関連の書き物には、必ず死者・行方不明者14万人と書いてある。これは一体何なんだろうということです。これを調べていくとわかることは、この違いは東京の集計のせいなんです。東京で性別不詳の遺体というのが4万2千ぐらいあったというんです。性別不詳ですから当然身元不明ですね。だけれど死者ですね。さらに、警察に捜索願のあった人が3万9千人ぐらいいるんです。これは行方不明者なんです。14万人のもとになった、地震直後の集計表には死者数と行方不明者数がそれぞれ書いてあります。それはそれで正しい、間違ってはいない。ところが、後世中身を知らない人がその2つの数字を足してしまったんです。そうすると14万という数が出てきちゃった。
※2004年ごろまでは14万人とされていたのですが、この武村雅之氏の説が学会でも受け入れられて、2006年からは10万5千余と理科年表にも記載。(詳しくはWikipedia、関東大震災の項へ)


関東大震災の教訓
→家を潰すと火災が広がる。家を潰すな
これは先ほども出てきました東京都心部の震度分布です。震度の高いところ、つまり木造の家屋の全潰率が高かったところを見てください。こちらは地震発生後4時間経過した時点で火災が広がった場所です。よく似ていると思われませんか。非常によく似ているんですね。何んでこうなるのでしょうか。おそらく、火を使っているところで家が潰れたら火災が発生しやすいこと。それが1つの原因です。それからもう一つ、家が潰れていると初期消火ができなくなっちゃうと思いませんか。気も動転しているし、技術的にもむずかしいでしょう。その結果延焼して、4時間後には、家屋が沢山潰れたところが、延焼地域になるんです。今の建物は(中略)防火のためにモルタルが塗ってあるんですけれど、潰れてしまうと木がむき出しになって防火効果が全くなくなってしまいます。そうすると延焼しやすくなります。

(中略)よく、家を潰しちゃだめですよと言うと、必ずこう言う人がいます。「いや、おれはもう老い先長くないから死んでもいい、おれの家が潰れるんだからほうっておけ」と。でも、東京のその後を見ると気持ちが変わると思います。さらに12時間後のこの延焼の図をみてください。東京の中心部、銀座や日本橋はほとんど地震による揺れの被害を受けなかった。だから4時間後にはほとんど火災の延焼もないんです。ところが、さらにそれから12時間後にはこのとおり全部丸焼けです。(中略)
 関東地震での住家の全潰による死者は約1万1千人ぐらいです。火災の死者は9万2千人ぐらいです。全潰がなくなれば当然1万1千人の人は死ななくてもいい。さらに9万2千人の人の大半も死ななくて済んだのではないかということです。だから、地震が起こったら火を消しなさいとよく言うけれど、最も重要なことは、自分の住んでいる家を潰さないことだということを、関東地震は教えてくれているように思います。
地盤の差が地震の揺れの差となる
→いま居る土地の地盤を知ろう
地震の揺れの違いというのが地盤によっているということを肝に命じて欲しいと思います。この写真は、阪神・淡路大震災の時の神戸の例です。2つの墓地の比較です。お墓は、揺れの強さを測るのにとても役立ちます。だから我々は地震の後によく墓回りをするんです。墓参りではなく墓回りです。この2つの墓地は実は歩いて5分ぐらいしか離れていないんですよ。片方の墓地は全く墓石が倒れていませんね。ここは御影といって、あの御影石の発祥の地で、地盤は花崗岩でできていてとても硬い。(中略)

 先ほど東京のところで、申しましたように、昔どんな地形だったかということも地震防災上とても重要なことです。したがって、これからお宅をどこかに買われたりする人は、必ず地盤のいいところに家を建ててほしい。これはもう絶対の条件です。最近は木造住宅にも免震装置を入れるなどありますけれど、やっぱり地盤が悪いという条件を克服するのは並大抵ではない。というのは、どうしても木造住宅は、地盤の上にチョンと乗せるしかない。そうすると、例え潰れないにしろ、地盤の不同沈下で傾くとか、よく揺れるから家の中がめちゃくちゃになるとかしやすいですね。だから是非、できれば地盤のいいところに家を選んでほしい。
地震は天から降ってくる災難?
→ここは地震で生まれた土地。地震を意識して暮らそう
 何か地震というのは、天から降ってくるみたいに思っている人がいるかもしれませんが、実はよく考えてみると、我々日本に住んでいますが、この国は地震がなかったら今存在しないと思います。日本は地震と火山でできたような国なんです。だからそのことを理解するのが地震とのお付き合いの第1歩です。
関東大震災、大東京圏の揺れを知る」の元記事には
ここで紹介していない内容がまだまだあります。

また、下記のような読者評価の高い本も出版されているようですので、
興味のある方はぜひそちらもご覧ください。



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